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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)7804号 判決

被告 三和銀行

理由

一  主位的請求について

1  請求原因事実1、2は当事者間に争がなく、同3は甲第一号証の二の(本件小切手の裏面)の記載及び弁論の全趣旨により認められるので、原告は訴外村井勉に対しその主張の債権を有していたものと認められ、他に右認定を覆えす証拠はない。

2  (一) 被告銀行が本件小切手につき支払人として「形式不備」を理由として支払を拒絶したことは当事者間に争がない。

(二) 《証拠》によると、被告銀行と村井勉との個人当座取引契約を定めた当座勘定取引約定書(三和ファミリーチェック用)(乙第一号証)によると、当座勘定取引の相手方である村井は小切手(手形、諸届書類)に使用する署名鑑又は印鑑をあらかじめ被告銀行に届出で、被告銀行は小切手等の署名又は印影を届出の署名鑑又は印鑑に相当の注意を以て照合し、相違ないと認めて扱つたうえは、その小切手(手形、諸届書類)、印章の偽造、変造、盗用等の事故があつてもこのために生じた損害について責任を負わないことを取決めていること、村井は右の約定にもとづき印鑑、署名鑑届出(兼代理人届)用紙(乙第二号証)に自署し、印鑑欄(A)(B)欄に二個の別個の印影を押印して(代理人欄にも妻の名が記載され印鑑(A)欄に本人と同一印を押し、同(B)に斜線を引いて)届出ていること、右署名欄には「(印鑑使用の場合は記名)」と付記してあり、印鑑届出をする場合には署名でなく記名でよい趣旨を表示していること、右付記にかかわらず署名したうえ印鑑の届出をした場合届出としては印鑑届出をしたものとして取扱い、印鑑照合によるものとし署名鑑届又は署名鑑届と印鑑届の双方の届出としては取扱われないこと、被告銀行の事務手続の基準として署名鑑の署名については常にこれと同様の一定の形式で行われることが可能であるような署名を徴求し、印鑑欄には斜線を引くよう指示されており、前記届出書の欄外にも「ご使用にならない印鑑については斜線をおひきください」と付記しその趣旨を記載していること、右印鑑届出がなされた場合(前記のように署名して印鑑届をした場合も)当座取引の委託者が署名のみにより印鑑を押印しないで振出した小切手が被告銀行に呈示された場合被告銀行は届出印鑑の押印もれとし、「形式不備」を不渡事由として支払拒絶をする取扱いである(なお右印章もれの場合には取引先に連絡して届出印章を捺印して補完するか、または新しい小切手に引き換える等の手段を講じ、連絡ししかも補完不可能な場合は形式不備として不渡とする)こと、ところで村井勉振出の本件小切手も同人の署名のみによつて振出されたものであつて(このことは当事者間に争がない)、届出印鑑の押印がないものであり、このため被告銀行は右取扱いにより右小切手を「形式不備」として支払を拒絶したものであることがそれぞれ認められ、他に右認定を動かす証拠はない。

(三) 右のように、村井勉の振出した本件小切手は同人の署名がなされており、(その他の要件の欠缺もなく)小切手法上小切手要件の記載に不備があつたとはいえないことは原告主張のとおりであるが、村井は被告銀行との間の前記のような約定により印鑑届をし、印鑑照合による支払の委託をする趣旨の合意がなされているとみられる以上、同人の署名がなされていても印鑑の押印のない本件小切手を被告銀行が「形式不備」として支払を拒絶することは支払委託契約の本旨にそうものであつて、被告銀行が村井に対してその委託の趣旨に反した債務不履行があつたということはできない。(ちなみに、《証拠》によれば、村井勉は支払拒絶のなされた昭和四九年七月二三日被告銀行神田支店に赴き小沢信明係員に本件小切手は特に印鑑を押さないで振出し友人に貸したところ詐取又は盗難にあつたもので支払を拒絶してほしい旨申入れがなされたので右係員は本部の指示を受け、事務処理の基準に照らしたこと、なお、その後同人との連絡はとれず右のような事情のため被告銀行は連絡して印章を補完させる手段を講じないで、「形式不備」の事由により不渡としたことが認められる)

本件小切手がいわゆるパーソナルチェックであることは《証拠》によつて明らかであるところ、パーソナルチェックは従来慣行的に確立していた支払銀行の印鑑照合を廃し、委託者は署名のみで小切手を振出しうるようになつたものであるけれども、画一的にこれに限り、押印を意味のないものとしたとはみられず、これに併せて従来の慣行どおり記名押印によることを合意することは自由であつて、右合意に基く限り押印が無意味なものということはできない。

3  よつて、被告銀行は村井勉に対し原告主張の債務不履行による損害賠償義務を負うべき理由はなく、原告の主位的請求はその他の点について判断するまでもなく理由がない。

二  予備的請求について

1  原告は、被告銀行が本件小切手を前記「形式不備」の事由により支払を拒絶したことが支払人である被告銀行の小切手所持人である原告に対する信義則、善管義務に違反するものであると主張するが、右事由にもとづく被告銀行の支払拒絶が振出人である村井に対する支払委託契約に違反するものでないことは前記のとおりであるところ、被告銀行が特定の契約関係の設定されていない一般第三者である小切手所持人に対し小切手金の支払に関し右支払委託者に対する義務以上に一般に善管義務を負うべき根拠はなく、不当な支払拒絶については所持人と支払義務者との間で問題となり得ても、支払銀行が所持人に不法行為責任を負うものではないというべきである。被告が広く一般の銀行取引に利用されることを予定した金融機関であることから直ちに原告主張の義務を直接負うものということはできない。

このことは、本件小切手に前記形式不備のほか「資金不足」の不渡事由がある(本件において村井勉に右事由のあつたことは当事者間に争がない)ときであつても異るものではない。この場合原告は「資金不足」とその他の事由が重複する場合でも「資金不足」を理由に支払拒絶をし、東京手形交換所規則第一号不渡届をすべきであり、このことに小切手所持人として独自の利益があると主張するところ、「資金不足」と他の事由が重複する場合の同細則の規定(第七七条四項)が《証拠》によつて認められるが、同条第四項で同条第一項にかかげる事由を除くとされ、第一項は「規則六三条第一項ただし書に規定する適法な呈示でないことを事由とする不渡はつぎにかかげる事由による」とし、その一として「形式不備(振出日および受取人の記載のないものを除く)」があげられているから、本件小切手については「資金不足」の事由があつても、資金不足を事由として支払を拒絶し第一号不渡届をすることにならないというべきであり、《証拠》によれば、被告銀行において現実にそのように行われていることが認められる。したがつて原告の右主張もその前提を欠くものといわねばならない。

三  以上のとおりであるから、原告の請求はいずれも理由がないので棄却

(裁判官 渡辺卓哉)

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